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「流鏑馬」とは、馬に乗って走りながら鏑矢を射放って板的を射当てる騎射の一種ですが、けっして競技ではありません。本来の起源は、天武天皇(7世紀後半)のころ行われていたとされる「馬的射」が原形であろうという説が有力です。(日本書紀) 11世紀になると、白河上皇が鳥羽殿の馬場で「流鏑馬」をご覧になったという文献(中右記)もあり、一種の宮廷行事であったことがしのぱれます。<馬に乗って鏑矢を射流す>ことから「流鏑馬」の字が当てられたものと想像されます。 時代がくだって鎌倉時代になりますと、源頼朝公が鶴岡若宮(現八幡宮)で放生会を催した際、流鏑馬を奉納したと、かの「我妻鏡」に記されております。この行事は、次上北条時宗の時代まで通算47回も幕府の公式行事として行われていました。 今日では、武田流弓馬礼法第35代司家金子家教先生(鎌倉市由比ケ浜在住)のご一門により、「武田流」として正統に受けつがれています。
(甲斐の勝山流鏑馬神事より)